東京地方裁判所 昭和46年(ワ)8082号 判決 1974年8月13日
原告 甲川一郎
被告 乙川二郎 外八名 〔人名一部仮名〕
主文
1 被告らは原告に対し、各自金三〇万円およびこれに対する昭和四六年二月一日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用はこれを四〇分し、その一を被告らの、その余を原告の負担とする。
4 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告
1 被告らは原告に対し、各自金一三五五万一九九九円およびこれに対する昭和四六年二月一日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行の宣言
二 被告ら
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 当事者の地位
(一) 原告
原告は、昭和二八年七月、帝都信用金庫(以下、単に金庫という)に入社し、同四六年一月一五日、金庫を退職したものであるが、その間昭和二八年七月京橋支店勤務、同三四年四月同支店貸付係長心得、同三五年四月同支店貸付係長、同三六年四月本部業務課長心得、同三八年七月本部審査課長代理心得、同三九年一二月本部審査課長代理、同四一年一月審査部審査課長兼営理課長、同年八月同部次長心得、同四二年八月総務部次長心得、同四三年一月同部次長、同四四年四月同部次長兼人事課長事務取扱、同四五年二月綜合企画室長心得兼人事課長事務取扱を歴任した。
(二) 被告ら
被告らは、昭和四五年九月現在、いずれも金庫の職員であつたものであり(被告癸川は、昭和四六年五月末頃、金庫を辞職したが、その余の被告らは現在も金庫に在職している)、右当時における地位は、被告乙川は本店預金係長兼庶務計算係長、同丙川は神田支店長代理心得、同丁川は京橋支店次長心得、同戊川は牛込柳町支店預金係長兼出納係長、同己川は杉並支店長代理、同庚川は中野支店次長、同辛川は芦花公園駅前支店長代理、同壬川は本部業務課長代理心得、同癸川は本部電子計算係長で、いずれも、それぞれの職場で指導的地位にあつたものである。
2 名誉毀損行為
(一) 被告らは共同して、昭和四五年九月頃、「はじめに」と題する縦書二段組みの囲み記事と、「帝都を左右する男」という見出しに始まる縦書一二段全七項の記事部分から成る別紙の文書(以下、本件文書という)数百枚を作成し、これを同月一六日金庫各支店長に配布し、更に、翌一七日金庫の本店および各支店(六店)において、金庫各職員に配布したうえ、同日夕刻、本店および各支店において、本件文書の説明会をそれぞれ催し、その席上、参加した職員ら全員に対し、右文書の内容を説明するとともに、原告が当時金庫職員であつた訴外春山花子を同伴する場面を撮影した写真(以下、本件写真という)数葉を提示した。
(二) 本件文書は、原告の私事または原告に対する中傷記事を記載したものであり、本件写真数葉は、原告の金庫における職務活動と無関係な私事にわたる行動場面を撮影したものであつて、本件文書および本件写真の配布、説明、掲示は、原告の名誉を著しく毀損するものである。
3 損害の発生および損害額
原告は、被告らのなした叙上名誉毀損によつて、次のとおりの損害を蒙つた。
(一) 慰藉料 五〇〇万円
原告は金庫における要職にあり、その地位信用に相応する社会的評価を得ていたが、被告らの前叙不法行為により、その社会的信用を失墜し、加えて、それまで一三年間円満に過した夫婦関係は危殆に陥り、ついに、妻子と別居せざるを得なくなり、また、後述(二)のとおり、金庫からの退職を余儀なくされたことにより、精神上多大の損害を受けた。
右損害を金銭に見積ると、五〇〇万円を下らない。
(二) 逸失利益 一八三九万八四八四円
原告は、右のとおり金庫における信用を失い、その結果、金庫から任意退職の勧告を受け、ために、昭和四六年一月辞職のやむなきに至つたものであり、右辞職と前叙名誉毀損との間には相当因果関係がある。
原告は、退職当時、一ケ年の給与総額二〇八万五〇一一円、同賞与総額一八四万五〇三円、合計三九二万五五一四円の年間所得があつたが、転職後は、一ケ年の給与総額が一四四万円、賞与を加えても年間所得総額は合計二二五万円にすぎないから、収益減による損害額は一カ年一六七万五五一四円であるところ、原告は昭和二年一〇月二四日生れで、金庫における満六〇歳の停年時までなお一五年間稼働することができた筈であるから、中間利息の控除につきホフマン式年毎複式計算法を用いて、本件不法行為時における逸失利益の現価を算定すると、一八三九万八四八四円となり(計算式167万5514円×10.9808 = 1839万8484円)、原告は同額の損害を蒙つたことになる。
そこで、原告は、右(一)、(二)の損害額合計二三三九万八四八四円のうち、金一三五五万一九九九円およびこれに対する本件不法行為の日以後である昭和四六年二月一日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する答弁
1 請求原因1(一)、(二)の事実は認める。
2 同2(一)の事実は認める。同2(二)の事実は否認する。
3 同3(一)の事実は否認する。原告がその妻子と別居するに至つたのは、原告が訴外春山花子と不倫な関係を結んだことに原因があり、被告らの行為と相当因果関係はない。同3(二)の前段は否認する。同3(二)の後段の事実中原告が金庫においてなお一五年間稼働可能であつたことは認め、その余の事実は不知。
(原告の金庫退職の経緯--被告らの行為と叙上退職との間の因果関係の不存在について)
被告らは、昭和四五年九月一五日、本件文書を金庫役員に呈示し、その記載内容の調査および原告に対する然るべき処分を求めたところ、金庫は、原告が前叙春山花子との関係を自認したとして、同月一七日、右事実を理由に原告に対し出勤停止処分にしたうえ、同月二一日、本件文書にかかる金銭問題につき特別調査員を選任してその調査に当らせた。その結果、原告は、昭和四四年一月から同四五年九月までの間、少くとも一七回に亘り、自己の用途に費消したものとせざるをえない合計九四万円に上る使途不明の仮払金を出金したこと、また、原告個人の用に供したものと疑われる交際費、交通費名義の支出をなしたこと、金庫職員一般貸付規程によれば原告が金庫から貸付を受けられない場合であるにも拘らず、審査課長としての職権を利用して、多額の貸付を受けるという不正行為を続けたことのほか、印刷費、広告・宣伝費等の領収書の保管の不備等が明らかになつた。そこで、金庫は、同年一一月一六日、原告に対し、当時の綜合企画室長心得兼人事課長事務取扱の職を解き、総務部付に配置換えしたうえ、同年一二月八日および同月二五日の二回に亘り、原告に対し任意退職の勧告をなしたが、同人がこれに応じなかつたため、昭和四六年一月一二日解雇の通告をなした。これに対し原告は、自己の意思による任意退職の形式を希望したので、金庫もこれを容れ、併せて原告に対し、同年五月六日、金庫退職金規程による正規の退職金額よりも多額の退職金一九二万九〇〇〇円および示談金二八〇万円を交付した。
右のとおり、原告の退職は、金庫の独自の判断に基づく解雇の意思表示に基因するものであつて、被告らの行為との間に相当因果関係はない。
三 抗弁
被告らの行為は、公共の利益に関し、その目的は専ら公益を図るためのものであり、いずれも真実であるから違法性を欠くこと以下のとおりである。
1 公共の利害、公益目的の存在
本件文書のうち、原告の裏切行為に関する部分(「帝都を左右する男」第一項、以下単に第一項という。その余の部分もこれにならう。)、原告の能力に関する部分(第二項)、原告の無責任に関する部分(第三項)は、金庫の経営を適正にし、かつ、金庫職員間の協調を図るために指摘を要する事項であり、原告の女性関係に関する部分(第四項)は、原告が妻子ある身で、しかも人事課長という職責にありながら、部下の女性と関係を持ち、金庫の風紀、秩序を乱したものであるから、金庫および金庫職員の利害に関する事柄であり、原告の金銭問題に関する部分(第五項)は、金融機関としての金庫の性格に鑑み、金庫および金庫職員の利害にかかわる重大事であり、本件文書「はじめに」の部分は金庫職場の一般的状況を、末尾第六、第七はともに金庫のあり方をそれぞれ論じたものであり、結局これらを記載した本件文書の配付・説明と本件写真の提示は、原告の不正事実を指摘してこれを改善せしめ、併せて、金庫の経営姿勢の適正を図ろうとしたものであり、従つて、専ら公益を図るものということができる。
2 事実の真実性
本件文書の内容は、虚構の事実ではなく、すべて真実に基づくものである。以下、これを本件文書の記載順序に即して具体的に述べれば次のとおりである。
(一) 「はじめに」の部分
金庫においては、柳町支店出納係長訴外太田稲作を始めとして、昭和三四年から同四五年頃までに、要職にあつた職員が数多く退職しただけでなく、昭和四一年、当時の理事長訴外金子澄之助の甥にあたる訴外鈴木英男が審査部長として入社し、次いで総務部長に就任するや、常務理事兼業務部長であつた訴外藤原徳の有していた総務、人事等の枢要な実権は逐次鈴木に移行し、遂に藤原は常務理事を解任されて、昭和四六年二月には退職するに至つた。その間昭和四五年四月頃、当時の柳町支店次長訴外岩田喜雄が、預金獲得業務が伸びないことを理由に、上司である同支店長は何らの責任を問われないまま、本部預金推進役という閑職に左遷されたり、同年六月頃、当時の本店次長訴外柴田二郎も同様の経緯で監査室付という閑職に廻されたこともあつた。他方、原告は、昭和三九年一一月頃、当時理事兼本部長の職にあつた訴外片所次枝が前記金子により失脚させられた際、金子の腹心として暗躍し、また、昭和四五年二月、綜合企画室が創設されたが、これも、一般役職員の総意を反映することなく、金子理事長および原告による独断専行であつた。これらの不公平、不公正な人事、機構改革については、金庫職員からの批判が強かつたのであつて、「はじめに」の部分は、これらの事実を記載したものである。
(二) 第一項の部分
原告は、昭和三九年一一月前記片所本部長が失脚した際、金子理事長の信頼が厚かつた藤原常務理事を利用し、自己の金庫内における地位を強化する意図をもつて、片所に関する種々の情報を藤原に密告して同人に取入り、また、昭和四一年、前記鈴木が入社して以後、藤原常務理事に対し鈴木を失脚させる計画を進言して拒絶されるや、一転して、藤原をざん謗して鈴木理事に接近するほどの無節操ぶりであつた。のみならず、職員の些細な落度をも糾弾し、例えば、昭和四三年一二月二三日には、訴外兵頭義人に対し、同四四年一二月一三日には訴外柴原梓に対し、それぞれ性急に退職届を提出させ、部下に対し極端な誅求を行う一方、常日頃から、金庫内部の情報を前記春山花子を通じて入手するに努め、このような原告の策謀に対し、金庫役員であつた訴外後藤徳次理事でさえも精神的苦痛を感ずる程のものであつたところ、昭和四五年二月、自らの肝煎りで金庫内のすべての部門を統括する権限を有する綜合企画室なるものを発足させ、自らその室長に納つて、金庫の実権を握ろうと図るに至つた。
(三) 第二項の部分
本来原告の起案すべき文書も、同人に処理能力が乏しいので上司である前記藤原が作成するのが常であり、原告の立案したスピード定期預金なるものは実用に耐えず、かえつて預金の小口化を招来した有害無益のものであつて、ことほどさように原告の業績は乏しい。また、原告は、昭和四三年春頃、当時の牛込柳町支店長訴外奈良米夫について、同年秋頃、金庫職員訴外池田五八について、金子理事長に対しそれぞれざん言をなし、その失脚を図つた。以上の事実を記載したものである。
(四) 第三項の部分
原告は、常日頃、既往に始末書を一通も提出されられたことがないことを誇つていたが、審査部当時も、営業店において不良貸付が生じても原告自身は一切の責任を負わないように布石し、原告が綜合企画室を創設した理由も、同室は企画に専念すれば足り、その推進上の責任の所在は各担当部にあるとすることに狙いがあつたのであり、これらをここに記載したにすぎない。
(五) 第四項の部分
本項にかかる女性問題については、原告の自認するところであつて、これが真実であることは明らかである。
(六) 第五項の部分
原告の昭和四五年一月から同年七月までの間における三菱DCおよび信販クレジツトによる支払合計額は七〇万八八五円にのぼり、その金額が異常に多いうえ、請求原因に対する答弁3(原告の金庫退職の経緯)に記載のとおり、仮払金、交際費・交通費等につき自己の用途に供した疑いが濃厚であつたのであるから、右記載事実に偽りはない。
3 本件行為の相当性
本件文書の配付・説明・本件写真の提示は、このようにして原告の不正を訴えなかつたならば、被告らは原告によつて解雇ないし配置転換等の不利益を受けることが必至であつたためになしたもので、やむをえない行為である。
四 抗弁に対する答弁
抗弁1ないし3は争う。
第三証拠<省略>
理由
一 請求原因1の事実(当事者の地位)、同2(一)の事実(本件文書の配付・説明・本件写真の提示等-以下一括して本件行為ともいう。)は、当事者間に争いがない。
二 そこで、被告らのなした本件文書の配付・説明、本件写真の提示等が、原告に対する名誉毀損による不法行為に該当するか否かについて判断する。
1 先ず本件文書は、「はじめに」と題する縦書二段組の囲み記事と、「帝都を左右する男」という見出しに始まる縦書一二段全七項の記事部分から成つていることは当事者間に争いがなく、前者には、金庫の職場には不明朗、不健全な積年の弊があり、この問題を解決しなければならない旨のやや抽象的な指摘が論評形態で記述され、後者には、右指摘にかかる問題が、専ら原告の金庫における存在、行動に由来するものであるとする攻撃批判が具体的事実を織り交ぜて記述されており、さらに、後者の記述を具体的に要約すると、第一項では、原告は、金庫に入社し、支店勤務から本部に配置換えになつて以後、保身のために上司、同僚、部下に対する裏切り行為、スパイ活動を重ねてきた旨、第二項では、原告は、仕事の処理能力がないにも拘らず、他人をその地位から失脚させることによつて自らの地位の安泰を図つてきた旨、第三項では、原告は、自己が負うべき責任を他人に転嫁して金庫に対する責任回避を続けている旨、第四項では、原告は、金庫の女子従業員と不倫行為に及んでいる旨、第五項では、原告の浪費態度を取り上げ、究明の余地がある旨それぞれ指摘し、第六項は、原告が職場の癌で、そのため金庫の発展が阻害されている旨の、第七項(本件文書の展示上六とあるは七の誤りと認める。)は、金庫を再建するために、原告の策謀を一掃しなければならない旨の訴え、呼びかけを内容とするもので、全体として、原告の金庫における言動を批判するにとどまらず、原告に対する侮蔑の言辞を配し、原告の私事を細部にわたつて暴露したうえ、これらを非難、攻撃しているものであることは本件文書の記載自体に徴し明らかである。
次いで、証人松本保太郎の証言、被告庚川七郎本人尋問の結果(第一回)および前叙争いのない事実を総合すれば、本件写真は、原告と当時原告の部下であつた訴外春山花子が、いわゆる連れ込み旅館を背景に同所に同伴で入ろうとする場面を盗み撮りしたもので、原告と右春山に関する本件文書第四項の部分を明瞭に想起させるに足りる内容であることが認められる。
2 証人鈴木英男、前記松本保太郎の各証言および被告庚川本人尋問の結果(第一、二回)ならびに前叙争いのない事実を総合すれば、本件文書配付の経緯に関し、次の事実を認めることができる。
被告庚川、同丁川、同辛川、同壬川、同癸川は、昭和四五年三月、金庫内において有能な職員が不本意に退職し或は不遇な処置を受ける例が多く、そのため職場が非常に暗く感ずる原因は、原告の専断的で非民主的な言動により職員が萎縮している点にあるとして、「帝都を守る会」(以下、単に守る会という)という職場内の団体を結成し、その行動の資料とすべく原告の素行調査に着手し、同年九月頃までに集めた調査結果に基づいて本件文書三〇〇枚を作成したが、その当時までに、守る会の構成員は、その余の被告らを含む金庫職員合計二二名となつていた。そこで被告らは、同月一五日朝、まず、本件文書と同文の文書を金庫各内勤理事に配付・説明し、金庫に対し、金庫経営者が原告の行動を調査すること、原告のこれまでの行動を容認してきた経営者の責任を明らかにすること、金庫が原告に対し然るべき処分をすることを要求したが、金庫において右要求を受け入れる意向がうかがわれなかつたため、被告らは、各支店長および一般職員に本件文書を配付するにしかずとの結論に達し、同月一六日朝、被告らの運動の趣旨を説明するため各支店長に対し本件文書を配付してその協力方を依頼し、翌一七日朝、本店および各支店の玄関入口或は門扉付近において、当日出勤してきた殆んどすべての職員に対し各一枚宛配付し、その際、各職員に対し、当日終業後各支店において本件文書配付の趣旨、経緯を説明するので参集を乞う旨を告げ、同日夕方、各支店においてそれぞれほぼ全員の職員が寄り集まつた席上、これらに対し、本件文書を配付するに至つた経過と本件文書内容の概略を説明し、その際、予め用意しておいた本件写真数葉を携え、本件文書中、原告の女性問題を指摘した部分の確認を求める職員に対してはこれを提示することとし、結局、本店および各支店において、概ね過半数の職員に本件写真が提示された。
3 右1、2の事実および前叙争いのない事実によれば、通常人が本件文書の配付・説明、本件写真の提示を受ければ、これによつて、原告の金庫内外における行動が、破廉恥、無節操で、人格は軽薄、低級であり、職務の上では、無能力、無責任であるとの印象を受けるであろうことは容易に想像しうるところであるから、被告らの本件行為は、原告が請求原因1記載の地位に伴つて保有していた社会的評価を低下させるものであるといわざるをえず、従つて、原告は、被告らの本件行為によりその名誉を毀損されたものと認めるのが相当である。
三 次に、被告らは、本件行為が違法性を欠くものである旨抗弁するので判断する。
1 名誉毀損行為が公共の利害に関する事実に係り、もつぱら公益を図る目的に出た場合には、摘示された事実につきこれが真実であることが証明されたときは、その行為は違法性を阻却されるものと解すべきところ(最高裁判所昭和四一年六月二三日第一小法廷判決民集二〇巻五号一一一八頁参照)、叙上二2に認定の事実によれば、被告らの本件行為は、金庫経営者の経営姿勢を糾弾することを標榜し、その目的が正当であることを明示せんとして、直接的には、当時金庫の枢要な地位にあつた原告の言動を指弾しその私行を暴露して同人の名誉を毀損するに至つたものであるということができ、このような、企業といういわば部分社会において、構成員である従業員が経営者の経営態度を批判抗争する際に惹起した名誉毀損につき、前叙違法性阻却事由の存在を肯定するためには、その摘示事実の内容、摘示の目的、表現方法、被害者の地位、加害内容等諸般の事情を斟酌し、その行為がその目的のために、手段・内容において社会的に許容される限度を越えないことを要するものというべく、いやしくも、不必要な人身攻撃や無遠慮な私事の公開は許されないものと解するのが相当である。けだし、個人が私生活と分別される私的集団社会の一構成員となつている場合、その集団の健全な発展運営を図る目的のために、構成員が互に他を批判しその反省を促す行動としての事実摘示、論評等は、その集団社会において相当として容認される手段・方法によつて行われることが期待されるのであつて、これを逸脱してなされた名誉毀損行為は、他にその手段・方法・内容を正当とする事由が存しない限り、もはや、その目的の故に許容されるものではないからである。それ故、企業内における個人の人身攻撃、私事・私生活の暴露が、右目的遂行上必要かつ効果的であると考えられても、単に好奇心を満すにすぎない事実の公表や興味本位で品位を欠く表現方法までもが正当視されるべきいわれはない。
このような観点に立つて、以下、被告らの行為の違法性の有無について検討を進めることとする。
2 公共の利害、公益目的について
公共の利害に関する事実とは、社会全体の利害にかかわる事実に限定されるものではなく、特定の集団社会においてのみ利害関係を有する事実をも含むものであり、また、かかる事実の摘示について専ら公益を図る目的とは、その部分社会の利益を図ることに主要な動機が存すれば足りるものと解するのが相当である。
本件においてこれをみるに、前叙認定のとおり、本件文書・写真は金庫において枢要な地位を占める原告の金庫内外における言動の批判を内容とするものであり、その配布・説明・提示の目的は原告の不正行為を指摘して金庫の経営姿勢を追及することを主要な動機とするものであるから、結局本件文書・写真の公表は、公共の利害に係わる事実で、かつ、右にいわゆる公益を図る目的でなされたものということができる。
3 事実の真実性について
(一) いずれも成立に争いのない甲第一号証の一、二、同第五、第六号証、乙第六号証、被告庚川七郎本人尋問の結果(第一回)により真正に成立したと認められる乙第一号証、証人金子澄之助、同藤原徳、前記鈴木英男、同松本保太郎の各証言、被告庚川(第一回)および原告各本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。
(1) 原告は、昭和三六年四月、業務課長心得として本部勤務に配転されて以来、請求原因1(一)の原告の地位欄記載のとおり、本部の主要な地位を歴任してきたが(この点は前叙のとおり当事者間に争いがない。)、この間昭和三七年一一月、訴外藤原徳が業務課長として入社し原告の直接の上司となり、昭和三九年一一月頃には、当時、名実共に金庫の実権を掌握していた訴外金子澄之助理事長から、そのころ、同人と折合の悪かつた訴外片所次枝本部長を失脚させるべく、今後、原告および藤原を自己の両腕として金庫の経営にあたる意図を明かされ、片所およびその輩下であつた訴外岡田課長等に対する退職工作に際し、原告は右岡田の素行調査の任にあたるなどして、金子理事長および藤原の腹心となつた。その後、藤原は昭和四〇年四月頃、業務部長に栄進し、原告とその部署を異にするに至つたが、金庫内の経営問題については引きつづき緊密な連絡を保ち、組合対策としての組合情報の収集、組合員の素行調査等を協働することもあつた。昭和四二年二月、金子理事長の甥にあたる訴外鈴木英男が原告の直接の上司である審査部長として入社するや、原告は同部次長心得の立場上勢い鈴木部長との接触が密となり、前記藤原とは疎遠となるに至つた。原告が総務部次長の地位にあつた昭和四三年一二月ころ、本店営業係の訴外兵頭義人に対し、同人が家族手当を不正に受給したことを理由に、直接、同人から辞職願書を提出させるべく折衝をなし、また、昭和四四年一二月、本店貸付係の訴外柴原梓に対し、同人が酔余乱行に及んだ事件を理由に、同人の結婚媒酌人を勤めた訴外太田実と共に、任意退職を勧奨するなどの任にあたることもあつたが、これらの措置は、いずれも金子理事長等金庫首脳の指示に基づくものでもあつた。その後、原告は、その辣腕に対し金庫職員の反感を受けながらも、昭和四五年二月、金庫の宣伝、企画、予算編成等の業務を担当する綜合企画室が設置された際、総員五名からなる同室の初代室長に抜擢され、金庫内における揺ぎない地位を確保するに至つた。
(2) ところで、原告は、金庫在職中支店、本部勤務を通じ後に認定の退職に至るまでの間、表立つて始末書を提出せざるを得ないような大過もなく経過し、その間前叙の要職を歴任し、金子理事長、前記藤原ないし鈴木理事の部下として、情報収集、調査活動面に特に敏腕を揮つて上司を補佐していたが、原告に課せられた役職を全うするための器量、とりわけ部下の掌握力についてはやや不足するものがある旨の評価もないではなく、また、文書起案能力に欠けるとする向きもあつた。しかし、原告は金庫職員に対しては些細な落度をも強く弾劾する姿勢を固持していたため、職員の間では、原告の言動に対する不満、不信がつのり、原告の一挙手一投足に少なからず恐れを抱く雰囲気が次第に醸成された。
(3) 原告は、昭和三三年に訴外某女と同棲し、その後、現在別居中の妻紀久代と昭和三三年七月八日婚姻し、同女との間に二女をもうけたが、原告が審査部人事課長に在職中の昭和四二年頃から、同室で原告の部下として勤務していた前記春山花子との間に性的交渉を持つに至り、一時はその関係を解消すべく前記藤原理事に相談を持ちかけたこともあつたが、結局漫然と昭和四七年一一月頃まで右交渉が続けられ、その間、前叙のとおり、守る会の会員によつて、右関係の動かし難い証憑となるべき本件写真が撮影された。
(4) 金庫においては、職制に対し、経費の一時立替払の勘定科目を仮払いとして会計処理する内規があり、ことに原告および訴外石井光男元人事課長代理(本件文書第五項中に、I課長代理と表示されている者)は、金庫の労務対策の任に当つていたこともあつて、労務対策費として多い時は年間六〇万円位の出金を認められたこともあつたが、概していえば、原告は同費用として月額一万円ないし三万円の割合による支給を受けていたに過ぎなかつた。ところが、右両名は、信販クレジツト、三菱ダイヤモンド・クレジツト(DC)を個人的に利用し、右石井にあつては、三菱DCにより、昭和四四年九月から昭和四五年九月までの間に、六〇万円以上の支出をなした。
以上の事実を認めることができ、右認定に反する証人藤原、同松本の各証言ならびに被告庚川(第一回)および原告各本人尋問の結果はにわかに採用しがたく、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
(二) 右認定事実によれば、本件文書掲記の摘示事実中、第一項の冒頭八行目までの原告経歴部分、第二項中の「長い間、彼の発案した文章をみた者はいない」との部分、第三項中の「仕末書を一通も書かない役席」との部分、第四項冒頭より一〇行目「間違いない。」までの部分および末尾より二行目「彼の女性歴はこれで三回目だ。」の部分、冒頭より「彼らは信販クレジツト、三菱DCの会員となつており、」までの部分については、ほぼ真実に合致しているということができるが、その余の記載部分は、総じて不正確独断的であり、就中第一項中の「自分をおびやかす者、あるいは藤原常務にとりつこうとする者は総てうそで固めた彼の言葉に引きまわされ、たたかれ、落されていつた。」、「すべての会議に顔を出し、すべての実権を握り、彼にさからう者はすべてほされ、彼についていく者は出世する。」との各部分、第二項中の「彼は仕事が出来ない、これは決定的事実である。」との部分、第三項中の「彼は昔から責任をとつたことがない。」、「彼はねらつている!理事の椅子を!藤原常務を実質的に自分の手でほおむつた、もう間近だ。」との部分がいずれも真実に符合するものと断ずるに足りる的確な証拠はなく、全体として、本件文書が右のような特徴を持つとして描出する原告の人間像が真相に副うものと認めうる証拠の存在を肯定できない。
もつとも、本件文書中、「はじめに」と題する項および第六、第七項記載にかかる論評は、具体的に原告に関する事実を摘示するところが殆んどないけれども、前叙した原告に対する人間像を前提とし同人に対する攻撃を主たる狙いとするものであることは、その表現、構成からみて明らかである。
4 本件行為の相当性について
前掲松本の証言によれば、金庫においては、全国信用金庫信同組合労働組合連合会東京地方連合会を上部団体とする労働組合があつて、本件当時、従業員約三〇〇名中、本部においては係長以上の役席を除き、営業店においては支店長、次長を除いた一般職員合計二二〇名位が加入しており、同組合は、組合員の待遇改善要求等を主体として組合活動を進めていたことが認められ、これによれば、被告らが本件行為を通じて意図した金庫の経営の民主化は右組合と金庫経営者との交渉によつて解決の緒を得ることができなかつたとはいえないばかりでなく、前認定の摘示事実の真否、表現方法、原告および被告らの金庫における地位等を併せ考えると、本件行為は、その目的に比していささか常道を逸脱したものであり、原告に対する多分に興味本位的で品位に欠ける人身攻撃の域を出でないとの感さえ免れず、就中本件文書第四項の部分は、「俺は役席として、人より朝早く出勤する。おまえたちはたるんでいる。」との記載部分を除けば、純然たる私行にわたるものであつて、その記載にかかる行為が金庫において懲戒事由に該当するとしても、原告の承諾を受けることなくこれを公開することまで許されるものではなく、同様に、本件写真も、これが一見して男女間の秘事を想像せしめ、当事者にとつて衆目に晒されることをはばかる私事を顕出するものであるから、原告が本件写真が公表されることを承認していた事情がうかがわれない本件にあつては、その提示は許容されるべき筋合ではない。
被告らは、本件行為に出なかつたならば、被告らが原告によつて解雇等の不利益を受ける虞があつたから、本件行為は必要かつやむをえない手段であつた旨主張し、前記証人藤原はこれに副う供述をしているけれども、右供述はたやすく採用しがたく、他に右主張事実を認めるに足る証拠はない。
以上によれば、本件行為が違法性を欠くとの被告らの抗弁は、結局、理由がないから採用できない。
四 進んで、原告の蒙つた損害について検討する。
1 逸失利益について
原告は、被告らの本件行為によつて原告が金庫から退職を余儀なくされた旨主張するので、右の間に相当因果関係があるか否かについて判断する。
前記甲第一号証の一、二、同第五、第六号証、乙第一号証、成立に争いのない乙第二号証、同第四号証、同第五号証の一、二、原告本人尋問の結果によつて真正に成立したと認められる甲第七号証、前記証人鈴木、同藤原、同松本、同金子の各証言ならびに被告庚川(第一回)および原告各本人尋問の結果と弁論の全趣旨を総合すれば次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足る証拠はない。被告らが経営民主化を目的として本件文書等を配付してその記載内容の調査方を金庫に要望したところ、前記組合においても同執行委員会がこれを支持する旨決議したこともあつて、金庫は、原告の素行を調査すべく、非常勤役員であつた訴外庄司監事を長とする調査委員会を設置し、非常勤役員、支店長団代表、守る会代表各一名からなる臨時組織を結成して調査した結果、女性問題は明白であつたため、これとは別に、前叙仮払金の使途につき不審な点がある旨また、金庫の交際費、印刷費、広告宣伝費、交通費の会計処理上原告個人が使用したか否か不明のものがある旨、原告が金庫から金員の貸付を受けるにあたり金庫の貸付規程を無視してことさら有利な取扱いを受けたと考えられる旨をそれぞれ記載した報告書を作成して金庫に提出したところ、金庫は、常勤理事五名、非常勤理事四名から成る理事会を招集し、直ちに、原告から事情を聴取するなどして事実調査を行なつたところ、原告の女性問題については原告がこれを自認したが、前叙金銭問題については、前記報告書の内容を真実に合致するとみる程に至らず、この点で不正は認められないとの結論に達したものの、前記女性問題は原告の金庫における地位に鑑みこれを放置することができないうえ、原告の金庫内における言動に対し職員間の批難が大きいとの判断のもとに、昭和四五年一〇月二九日、原告を解雇する旨決定し、これに基づき金庫は、同年一二月八日および同月二五日付書面をもつて、原告の女性問題が金庫内の風紀を乱しているから就業規則第七七条第三号(職場の秩序、風紀紊乱等を懲戒事由とする規定)に、また、原告の金庫内の言動に多分に行き過ぎの面があり一般職員の反感を買つているから前同条第一六号(権限濫用行為を懲戒事由とする規定)の各懲戒事由に該当するので金庫に対し退職届を提出するよう勧告する旨の通知をなしたこと、ところが、原告がこれに応じなかつたため、金庫は、原告において任意退職の意思なきものと判断し、昭和四六年一月一二日付書面をもつて、原告に対し解雇の意思表示をなすとともに、併わせて解雇予告手当ならびに退職金を受領するよう催告したところ、原告が、右解雇について金庫に対し不服の申立をなしたので、金庫は、原告に対する退職金額について再考の余地あることを示し、その後、原告と金庫間で右金額の折衝が続けられ、結局、右退職金として一九二万九〇〇〇円、示談金として二八〇万円を金庫が原告に支払うことにより妥結し、該金員は、同年五月六日決済されたが、原告は、その間同年四月一日付をもつて訴外永生病院に再就職した。
右認定事実によれば、原告が金庫を退職して転職を余儀なくされたのは、専ら金庫のなした一連の調査、任意退職勧告、解雇通告に基づくものであつて、しかもこれは金庫が独自の判断に基づいてなしたものであり、被告らの本件行為が金庫にかかる措置を執らしめた誘因となつたことは否めないにしても、これをもつて解雇との間に相当因果関係があると断ずることは到底できない。
従つて、本件行為と原告の退職との間に相当因果関係が存することを前提とする原告の逸失利益の請求は、その余の点を判断するまでもなく失当であるから排斥を免れない。
2 慰藉料について
原告本人尋問の結果によれば、原告は、被告らの本件行為により、昭和四五年一一月以来家族との別居生活を余儀なくされるに至つたことが認められるところ、右の仕儀は原告が常日頃金庫役職者として身を正し、慎重さを欠かなければこれを未然に避けえたものであるとはいえ、被告らによる行き過ぎた私事の公開によつて一二年余に及ぶ平穏な家庭生活の崩壊を招来させられた原告の心痛は察するに難くなく、また、本件文書中の原告に対する人身攻撃にわたる部分によつて受けた原告の精神的打撃も少なからぬものと認められる。そこで、前認定にかかる本件文書および本件写真の配付・説明・提示の動機、方法、態様などの諸事情を斟酌して、被告らが原告の精神的損害を賠償すべき金額は、三〇万円をもつて相当と認める。
五 結論
以上のとおりであるから、被告らは原告に対し各自金三〇万円およびこれに対する本件不法行為の後である昭和四六年二月一日から支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるものというべきである。
よつて、原告の本訴請求は右の限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 鈴木潔 遠藤賢治 東畑良雄)
別紙 文書
はじめに
帝都は何故、人が多くやめていくのか? それも永年にわたり勤めあげ、育てあげた人達が……。
我々の職場は何故暗いのだろう。建物は近代的に立派になつても、店内は改装されきれいになつても皆の顔付きは決して明るくならない。役席は皆なにかにおびえている。皆やめる事を考えている。こわい! 実感だ。
どこかの次長が突然、左遷される。ある日突然、役員が無権力者となる。総合企画室が突然出来る。お金を湯水の様に使つてくれる。何故か? 何故だ? 何故だろう? 我々はこれらの問題に対し長い間疑問をいだいてきた。しかしもう解かなくてはならない。それが我々の任務だと考える。長い間お世話になつた金庫の為にも……。これから記すレポートは、長くつらい日時をかけて調査した真実そのものを皆さんに訴え、今はやりの言葉でなく真の人間性復活と明朗健全なる職場の回復を叫び、労使協調一体となつて金庫発展と従業員の幸せを心から叫び願うものである。
帝都を守る会・有志一同
帝都を左右する男
一、その人の名を甲川一郎という。昭和二十八年旧神田支店前の朝日信用組合が整理された時神田支店顧客・奥野栄次郎氏の紹介で当庫に入庫した。当初京橋支店で勤務、昭和三十六年、本部に転勤しはじめた頃から、いよいよその本領を発揮する。前本部長の片所部長失脚の時は少なくとも彼らのブレーンでありながら、情報を経営者側に売り、片所部長、岡田課長を追い出すや、すぐ藤原常務とベツタリとなる。第一の裏切りである。自分をおびやかす者、あるいは藤原常務にとりつこうとする者は総てうそで固めた彼の言葉に引きまわされ、たたかれ、落されていつた。岡田政権時代につぐ第二の暗黒時代であつた。
しかし業績は藤原常務の手腕もあつて、除々に快報にむかい内容は健全化されてきた。
昭和四十一年、鈴木常務が入庫された時、今度は誰の目にも解る第二の裏切り行為に出た。鈴木常務は理事長の親せきでもあり、どうしても乗り替わらねばならなかつた。乗り替りは簡単だ。口一つでいい。入庫したばかりの鈴木常務に取り入り、うそ一杯信じこませるにはたいした努力もいらなかつたろう。藤原常務の徹底した悪口、藤原常務の部下達の悪口とバラバラ作戦、鈴木常務に近づく者のげきたい、そして秘密警察めいた彼に弱身をにぎられた人間、あるいは彼にとり入る連中を使つてのスパイ活動。各店役席のかんし、店長といえども役員といえども彼の恐怖政治の前に、立ちむかうすべはなかつた。本部の役席は特に彼の思うままで玉を抜かれ、頭をたたかれ、中には彼の手先となり、完全に彼の手中に収められた。
そして得た現在の地位は総合企画室長、実質総務部長であり業務部長であり、審査部長であり、事務部長であり、人事部長であり、監査室長である。
すべての会議に顔を出し、すべての実権を握り、彼にさからう者はすべてほされ、彼についていく者は出世する。自身が言う様に、役員以上の手腕をもつ者がなるポストである。
二、彼は仕事が出来ない、これは決定的事実である。長い間、彼の、発案した文章をみた者はいないし、彼の残した仕事上の功績はない。だからこそ彼は口一つで生きなければならなかつた。彼の恐怖政治の起りは総てここからきているといつていいだろう。力で上にあがれない者が考えるのは、上を落すこと以外に道がないではないか。ある店長が業績をあげる。理事長がほめる。すると直ちに彼は落すことを考える。営業店は絶えず何かのミスが起る。彼は簡単に、その店長の評判を落す事が出来る。
それも目にみえない処でやられるのだから仕末が悪い。そうなると店長はお客さんどころではない。いつも彼の動きと、ごきげんをとらねばならない事になる。目にみえない糸が支店長を恐怖に導く。
三、彼は昔から責任をとつた事がない。仕末書を一通も書かない役席は、彼一人しかいないだろう。審査部の時は責任を絶えず営業店におしつけてきた。業務は△印がこわい。総務も審査も危険がある総合企画室なるものを自分で作りそこへおさまつた。いちばんいいところだ。お金を使つて企画すればいい。預金が伸びなければ、業務部長と営業店の責任だ。彼はねらつている! 理事の椅子を! 藤原常務を実質的に自分の手でほおむつた、もう間近かだ。
そしておそらく役員になつた後何ケ月か何年かして、鈴木常務を裏切り、追い落す日がこないと誰が断言出来よう。欲望には限りがなく、悪にはこれ迄という限度がない。
四、彼には結婚して子供もいるのに女がいる。彼女の為あえて名前は出さないが、審査部のA女だ。彼は彼女と毎週の如く土曜日、西武園にある「多摩湖ホテル」に入る。人事課長が部下の女性と妻子ある身でである。我々は数回にわたり現地にて写真をとり、入館を目撃しているから間違いない。営業店には目標未達成のハツパをかけながら彼は四時頃ホテルの一室で女を抱く。
そして毎朝一緒に御出勤だ。「俺は役席として、人より朝早く出勤する。おまえらはたるんでいる」ナーンダ! 一緒にくる為に早かつたのか。
彼の女性歴はこれで三回目だ。まだあるかも知れない。
五、彼とI課長代理の金使いの荒さは有名だ。彼らは信販クレジツト、三菱DC、協和JCBの会員となつており、毎月の支払は二人とも、拾万円から弐拾万円と桁はづれだ。(信販は本店元帳により確認。三菱、協和は入金日、尾行にて店頭にての入金、当庫よりの振込等により該算間違いなし)
何故彼等はそんなにお金が使えるのだろう。特別手当としてもらつても彼等だけに与えられるのは不自然であり、彼等自身の飲み代に我々が汗水流して稼いだお金をこんなにも浪費されるのではたまらない。何かあるのか、このへんも徹底的に追求したい。
六、この様な人物に握られている帝都はまつたくもつて不幸といわざるを得ない。彼は職場のガンであり、我々は断固許す訳にはいかない。このままでは彼の悪に、帝都三百人の命はちぢまる。経営者は何故気づいてくれないのか? 内容は悪化の一途をたどりはじめる。現在の企業は危機の時代に突入している。金融機関も過保護の時代を通り過ぎ、今や激烈な過当競争の時代に突入した。これからの企業を支えるのは手持ちの人材を一〇〇%発揮させる経営者の手腕だろう。口で、あるいはお金ではこれからの人は動かない。全幅の信頼の上になつた真の労使協調がなくて、どうして企業が発展していかれようか。
今の現状はどうだろう。強いものにはゴマのすり合い、上がやるから下もやる。それが通用するからますますはやる。預金がいかなければ徹底したゴマすり作戦、ゴマすりで責任を逃れようとする。あるいは部下を犠牲者にしてしまう。総合企画室を筆頭に経費は使いほうだい。新商品と銘うつて事務の繁雑化とコストの高騰を呼ぶ。ある店では月中何回となくメモ預金なる架空預金(入金がないのに現金入金の伝票を起こし、普通預金元帳、通帳に記入)を作り平残アツプを図る。金融機関の常識を逸脱した手段にでる。両建てによる平残アツプ、当然貸出利回りは低下する。しわよせは全部、善良なるお客様にくるではないか。
何年か前、関財検査に指摘を受けたドレのデパートの時代が間もなくやつてくる。今我々が真剣にこの問題を考えなかつたら、我々の幸せは永久にとざされてしまうだろう。恐怖におびえてはならない。
六、彼、甲川の策ぼうに気づいた時、経営者は裸で話し合い、我々の為の政治を復活してもらいたい。訳もなく我々を苦しめる甲川政治を一掃して明るい帝都再建の道を一日も早く話し合つてほしい。偉くなりたくない、先の希望もない、その日暮しの政治はもう勘べんしてもらいたい。
我々同志は、ここに固く結ばれた帝都の為、我々の為、自分自身のために、これからあらゆる努力をはらう事を、ぜひ共、皆さんの理解と応援をお願いしたい。
なお疑問の点、あるいは意を同じくする人は、各店連絡委員迄、御連絡下さい。
一九七〇年九月
各店連絡委員
本店 乙川二郎
神田 丙川三郎
京橋 丁川四郎
柳町 戊川五郎
杉並 己川六郎
中野 庚川七郎
芦花 辛川八郎
本部 壬川九郎
本部 癸川十郎